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2017.03.15

渋沢栄一のことば ジャパン・ツーリスト・ビューロー発足に際して

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ジャパン・ツーリスト・ビューロー(現JTB)が1912(明治45)年に発足した際に、「日本資本主義の父」渋沢栄一がその創立に対してどのような期待をしていたかを表す言葉を紹介しましょう。


当時渋沢栄一は、外国人賓客接遇の機関である「喜賓会(ウェルカムソサイティー)」の幹部の一人でした。
喜賓会は1893(明治26)年に設立され20年がたっていましたが、事業は資金不足で厳しく、事業を引き継ぎ強化する先を探していたところ、ちょうどジャパン・ツーリスト・ビューロー発足の話を聞いたそうです。


ジャパン・ツーリスト・ビューローの創立総会は、同3月12日午後2時から鉄道院で開催され、喜賓会はまもなく解散。


その際の渋沢栄一の希望は以下のようなものだったそうです。

喜賓会が解散して有力なツーリストビューローの生れたことは恰も陳渉呉広が漢の高祖をつくり出したようなもので、喜賓会のこれ迄の事業が不振であつたにせよ、この新計画を生み出すひとつの動機となつたことによつて喜賓会は成功し且つその目的を果たしたともいえる。ただ高く飛ぶ鳥はあまり羽ばたきせぬものであるが、ビューローもあせらずに、じつくりとその事業を進め、大成を期されたい

(四拾年の歩み 1912-1952 財団法人日本交通公社 PP4-5)


「恰も陳渉呉広が漢の高祖をつくり出したようなもの」とは、なんという期待でしょう。
というかこんなたとえ話、凡人にはとてもできません。

高く飛ぶ鳥は、あまり羽ばたきをしない。悠々と空を飛ぶ鳥のように、じっくりと事業を行い、大成を期する。


いったいこれほどの贈り言葉が他にあるでしょうか。


105年後の今、改めて共有しかみしめたいことばです。


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