2018.12.12

DMCとその歴史

DMC


観光政策では、地方創生とあいまって日本版DMOが大きな話題になっていますが、それとととにDMC(デスティネーション・マネジメント・カンパニー、Destination Management Company)という単語を見かけることも多くなってきました。同時に、DMOとDMCが混同されて使用されたり、あるいはその違いは何か、という疑問を多く見かけます。しかし、DMOとDMOはまったく違うものです。DMOは観光推進のための組織、DMCは旅行会社から進化した企業、業種のことです。今日はDMCについてご説明をいたしましょう。


DMOとDMCが混同される理由の一つは、「DM」、つまりデスティネーションマネジメントまでが同じであることかもしれません。DMOとDMCの違いは、デスティネーションをマネジメントをするのは同じであるが、単なる組織と企業の違いである、という究極の誤解もあるようです。
またDMOと並んで最近出てきたもの、という理解のされ方もあるようですがこれも違います。

DMCは、1970年代にアメリカで、企業の会議やイベントを、その開催地で手配する旅行会社のことを指してつかわれたものです。
旅行会社のことを英語でツアーオペレーターTour operatorといいますが、ツアーオペレーターの依頼を受けて、観光地側で旅行の手配をする企業のことを、インカミングツアーオペレーター(ITO)とかグランドオペレーターと呼びます。

1960年代には、特に国境を越えるような旅行、日本でいうところの海外旅行では、発地でビジネスをする旅行会社/ツアーオペレーターは、現地の手配にITOを利用していました。

1970年にアメリカでは企業の活動が活発になるにつれ、企業から発生するビジネス旅行、それは会議や報奨旅行という形態でのちにMICEと呼ばれますが、それらは単なる観光とは違い、会議ができる場所やイベントなどといった、企業のニーズを満たすような企画と手配を行う専門性が求められました。

そこでまず報奨旅行の企画を専門に行う、「インセンティブハウス」という業種が発展していきました。
例えばマリッツという会社は、もともとは贈答用のプレゼントの商品を報奨として扱う企業でしたが、報奨としての旅行を扱うことからインセンティブハウスになっていったと言われています。


そして報奨旅行などの企画を実現するために、デスティネーション側でその企画内容を手配する役割を担ったのがITOでした。単に観光に関する手配を行うだけでなく、デスティネーションに関わることをすべて管理・マネジメントする、という意味で、ITOやグランドオペレーターがDMCと呼ばれるようになったのです。


その後、DMCはアメリカから欧州や東南アジアに広がっていきました。


例えば、シンガポールに本社があるパシフィックワールド社。

http://www.pacificworld.com/


その設立は1980年といわれています。かつて創業者の一人に話を聞いたことがありましたが、最初はアメリカでDMCをやっていたが、これからは東南アジアの時代と感じ、みずからシンガポールにわたりDMCを創業した、とのこと。


こうしてDMCはMICEを扱う専門業種として発展していったのです。


DMCの業界団体の一つが、アメリカのテキサス州に本部を置く、国際デスティネーション・マネジメント協会です。


Association of Destination Management Executives International (ADMEI).
http://www.adme.org

ADMEIは、DMCの専門家の育成教育プログラムや認定などを行っています。

これらを見ますと、デスティネーションのマーケティング組織であるDMOとはそもそもその生い立ちや役割が全く違うことがわかるでしょう。


もちろん広い意味では、DMOもDMCもデスティネーションに貢献している、ということはいえるかもしれませんが、両社が違うものであることはご理解いただけるのではないでしょうか。

さて、DMCの定義に戻りますが、これまで見てきたように、DMCがMICEに関わる手配をしている会社だけを指しているのであれば、話は単純でした。しかし、実は観光旅行を手配する会社もDMCと称していることが増えてきたのです。
これがおそらくDMOとDMCを混同するもう一つの原因となっているのではないかと思います。


それは次の機会にご説明しましょう。

ーーーーーー

***おすすめ本****
新刊!  DMO入門  大社充著

| コメント (0) | トラックバック (0)

2018.12.08

お勧め本 新刊「DMO入門」遂に発売!

シドニー


DMO推進機構 代表理事であり、事業構想研究所客員教授もされている大社充氏による新刊書、DMO入門が発売になりました!
筆者の約10年におよぶDMOとのかかわりを基に、とても説得力のある内容が展開されており、DMO推進には手元に置いておきたい一冊となりました。



内容は以下の通りです。


第1章 DMOが必要とされる背景
第2章 観光地域振興の推進体制の現状と課題
第3章 海外のDMO事例
第4章 DMOの基本的な概念とその構造
第5章 日本版DMOにおける官民連携のカタチを考える
第6章 戦略の策定・事業立案の進め方

DMOが必要な背景や基本的な概念、そして実際にDMOを実践運営するためのノウハウなど内容は多岐にわたります。

政府が初めて日本版DMOに言及したのが2014年とのことですので、DMOについては、まだ取り組みが始まったばかりです。ですので、本書の内容も、入門とうたっているものの、日本版DMOについては最前線のことが記載されています。

章立てからおわかりのとおり、どちらかといえば、DMO自体の組織のことや、観光における地域マネジメント、地域ガバナンスに関する内容が主体となっていますが、これは、著者の専門からくることかと思います。


一方で、諸外国のDMOがその重要なミッションの一つとしているマーケティング、つまり交流・観光創造に関わること、シンプルに言えば、いかに観光客を呼んでくるか、ということについては、それほど多くの記載がありません。また地域資源に紐づいた地域のブランディングについても同様です。


これはしかし著者の責任というよりも、歴史の浅いDMOにおいてはこれから実績を積み重ねて検証されなければならないことでしょう。


今後、入門編の続き、あるいは応用編、上級編に期待したいところです。


| コメント (0) | トラックバック (0)

2018.10.14

パリの地層 ~男の一人旅 パリの新しい楽しみ方~

パリ


20年以上も前に、卒業旅行で初めてパリに行ったときには、正直、これはもうだめだ、と思った。
英語は通じないし(といっても英語もろくに話せない)、フランス語は身振り手振りさえできないし(大学で第2外国語をとったわけではない)、そのため美食の街にあって、屋台のクレープさえ食べられない。

言葉が通じないだけでなく、そもそも西洋史の知識に乏しく、その分観光も格段につまらない。美しい自然を見るだけなら見ればわかるが、歴史文化の観光は、その背景知識があるかないかで、まったく観光の面白さが違ってくる。

それはたとえば日本を訪れた外国人が法隆寺を見て、これは聖徳太子のゆかりの地、と説明されたとしてもそれがいったいいつの時代でどんな活躍をした人かもわからないので、そのすごさがほとんどわからぬまま単に世界遺産だからすごいのだ、という理屈でへー、と言っているのとあまり変わらない。


挙句に、そもそもパリなんてスノッブな人の行くところで、理系(=あか抜けない、という意味)の自分の行くところではない、と、それ以来、つまり20年以上、欧州自体は何度か訪れる機会はあったものの、花のパリを訪れることは一度もなかった。


ところが、27年ぶりに訪問したパリは、違った。


どう違ったか、というのが今回の内容である。


そのきっかけは、初めて見学したオルセー美術館にある。


大きな動かない時計台を備えた、昔の駅を利用したオルセー美術館は、19世紀の印象派画家の作品を中心に展示している。印象派画家のファンだけでなく、美術の教科書には必ず出てくるような絵ばかりである。


その一角にある、印象派を説明したプレートにはこう書かれてあった。

  「印象派

   xxxx(前略)

  印象派画家たちは、体系だったプログラムには従わなかったが、みな近代の世界における変化を描いた。1870年代において、駅や踊りやパリのカフェや、その郊外、レジャーや産業の場所に集まった。画家たちは、ある瞬間をとらえるスタイルを好んだ。変わりゆく世界の個人的な、主観的な印象をとらえた瞬間である。
   
xxxx(後略)」


変わりゆく近代を描いたのが印象派画家だった。

産業革命の後、余暇・レジャーが生まれ、19世紀に入り鉄道網が発達し、それまで旅といえば貴族だけの特権であったのが、一般大衆までが旅行できる時代になった。そして時代の必然として旅行会社が生まれた。

そのレジャーの歴史、旅行会社の歴史の黎明期に、印象派画家はまさしく絵を描いていたのである。

観光、旅行を研究するものとして、そのつながりは衝撃的だった。

そしてそれは、フランス語ができなくてクレープ一つ食べることができなかった前回のパリ訪問のトラウマを一気に払しょくするに足るインパクトとなった。


いったい、印象派画家はどれくらい余暇のことを描いたのだろう。どのくらい鉄道や駅に関心を持っていたのだろう。そしていったいどうやって彼らは鉄道の切符を手配したりしていたのだろうか。


いや、直接それを調べても理解できるほどの知識はない。まずは彼らが生きた時代の背景、社会制度を知らなければならない。彼らの時代の産業、経済がどのような状況であったかを理解しなければならない。


これまで厚く深く覆っていた地層によって、とても近寄りがたかったパリ。
スノッブで、過去の文化人が何度も訪れ、寄せ付けがたい雰囲気を醸し出していたパリ。


しかしその地層を分け入る一筋の光を見つけたような気がした。
いったい、パリは、そしてフランスは、その地層の奥底に、どんな表情をしているのだろう。

これからどこまでその地層を分け入って入ることができるだろうか。
そのための武器を、手に入れることは本当にできるだろうか。


| コメント (0) | トラックバック (0)

2018.10.06

世界一悲しい廃線後 オラドゥール・シュル・グラヌ

ダークツーリズム


2018年9月、パリからフランス新幹線TGVで南に下り3時間20分、リモーザン地域の主要都市リモージュに到着、そこから車で約30分の距離に、オラドゥール・シュル・グラヌOradour-sur-Glaneはあります。


シュル・グラヌSur Glaneとは、グラヌ川沿い、という意味で、オラドゥール・シュル・グラヌは、時折リモージュからの行楽客がのんびりと時間を過ごす普通の田舎の村です。

正確に言えば、かつての村と今とでは違う場所にあります。
1944年6月10日、村全体がドイツ軍に焼き払われ、生き逃れた数名を除いて当時村にいた642名が村の中で犠牲となりました。その村が、戦後そのままの形で保存され、新しい村はそのとなりに作られたからです。


Photo


村の真ん中の道路にトラムの軌道がそのまま残されています。

村中の家が焼かれ天井は崩れ落ち、ほとんど壁しか残っていないのですが、トラムの駅舎と荷物を降ろす場所に立つ建物だけがなぜか焼かれずに立っています。そしてその手前には、転轍機がそのまま放置されていました。


ノルマンディーに行く途中にこの村に立ち寄ったドイツ軍SS第2装甲師団ダスライヒが、なぜこの村を襲ったのかはいまだ諸説あり、確定していません。

この一件は、ドイツ軍にアルザス地方の兵も含まれていたことから、戦後、フランス内でも多くの論争があり、アルザス地方とリムーザン地方の関係はぎくしゃくしたままである、とのこと。

長州藩と会津藩のような話は日本だけではないのですね。


今回オラドゥール・シュル・グラヌを訪れて感じたことは、旅の「リアリティ」、ということ。


オラドゥール・シュル・グラヌについては、本だけでなく、動画も含めインターネットで多くの情報が得られます。
実際に図書館で本を借り、多くのサイトを調べました。
しかしあるとき、図書館で借りた本を閉じ、もうこれ以上調べるのはやめよう、と思ったのです。その場に行って感じたい。


その場に佇んだ時の「リアリティ」は、他の何に変えることのできない経験であることを、二度とトラムが走ることのない軌道をみながら、しみじみと感じました。


| コメント (0) | トラックバック (0)

2018.09.03

ツーリズムEXPOジャパン に登壇します!

Ams_museum_pleain

ツーリズムEXPOジャパンがいよいよ開催されます!

http://www.t-expo.jp/

2018年9月20日(木)~23日(木)


観光圏に関わるセミナーが開催されます。
私もインバウンド市場にどのように取り組んでいくべきかを観光圏の方々とディスカッションさせていただきます。
インバウンドだけでなく、地域ブランディングや合意形成など、観光圏やDMOに関わる、全国各地の様々な事例を知ることができる貴重なセミナーです。

どうぞよろしければぜひご参加くださいませ。

ツーリズム・プロフェッショナル・セミナー

2018年9月21日(金) 
 第1部 10:30~
 第2部 13:00~
セミナールーム11

全国観光圏シンポジウム&セミナー

『第1部: 全国13観光圏によるインバウンド誘致の取組』
~全国13観光圏がアライアンス体制を組み取り組む“プレミアムな地方の旅体験”を提供するインバウンド誘致への挑戦!
地方だからこその魅力、そしてインバウンド誘致の鍵を握るものとは~


『第2部: 世界水準の日本版DMOのあるべき姿とは』
~日本版DMOの先行事例とされる次世代のブランド観光地域づくりに取り組む観光圏の各種取組から、世界水準の日本版DMOとしてのあるべき姿を提唱する~

http://www.t-expo.jp/biz/program/seminarprogram.html

<Session①:インバウンド誘致の取組>
・(株)JTB 経営戦略本部 経営戦略担当部長・相模女子大学客員教授/小林 裕和
・にし阿波~剣山・吉野川観光圏 代表
・ニセコ観光圏 代表
・阿蘇くじゅう観光圏 代表

<Session②:地域ブランディング>
・雪国観光圏 代表
・海の京都 代表
・水のカムイ観光圏 代表
・豊の国千年ロマン観光圏 代表

<Session③:多様な関係者による合意形成>
・八ヶ岳観光圏 代表<民間×行政>
・富良野美瑛観光圏 代表<民間×行政>

<Session④:日本初となる品質保証制度「サクラクオリティ」の導入>
・(一社)観光品質認証協会 統括理事/北村 剛史
・サクラクオリティ委員会・委員長(香川せとうちアート観光圏)/内田 裕幸
・サクラクオリティ委員会・副委員長(雪国観光圏)/井口 智裕

<Session⑤:ディスティネーション・マーケティング>
・「海風の国」佐世保小値賀観光圏 代表
・浜名湖観光圏 代表
・トキめき佐渡・にいがた観光圏 代表
・観光圏顧客満足度調査会社((株)アンド・ディ)/橋口 理文・観光圏顧客満足度調査会社((株)アンド・ディ)/橋口 理文


| コメント (0) | トラックバック (0)

2018.09.01

DMO推進機構 インタビュー

alt=

DMO推進機構のHPにインタビュー記事が紹介されました。


DMO推進機構
http://www.dmojapan.org/


「日本版DMO」
http://www.mlit.go.jp/kankocho/page04_000053.html

日本版DMO候補法人は、現在157法人が登録されています。
各地でいろいろな取り組みがされている様子です。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2018.04.17

パリの素敵な、山の本屋さん Librairie des Alpes

Librairie_des_alpes

今日はとても素敵な本屋さんをご紹介します。

パリ左岸の6区、セーヌ川まで歩いて1分、ポン・デ・ザール橋はすぐそこの、


Librairie des Alpes リブレリー・デ・ザルプス書店

librairiedesalpes.com/
https://www.facebook.com/librairie.librairiedesalpes/


です。


パリの登山家、山を愛する人たちにとても有名なこのお店は、創業は1933年ですから、すでに85年ということになります。

山に関する古本屋や新刊本が1万冊以上、本だけでなく、写真や雑誌などもあります。

お店に入ると、そのすべてが山に関する本かと思うと圧倒されます。
新刊本だけでなく古い本もあるので、掘り出し物も見つかるかもしれません。


私は若いころには山登りもしましたが、現在の山登りブームにはついていけていません。
また山岳写真家の白籏史郎の名前くらいは知っていはいますが、山の書き物にもそれほど興味があるわけではありません。

それなのになぜこのお店にたどり着いたかといえば、19世紀の観光の歴史に関わります。
観光は近代に、鉄道を活用して大衆化していったのですが、アルプスの観光開発もやはり鉄道なしにはなかったといえ、その資料を探したかったからです。


お店を訪れたのは2017年9月。


ボンジュール、と声をかけ、一通り店内を見た後、幸い他にお客さんもいなかったので、店主に聞いてみました。

 この店には鉄道に関する本はないですか。

 ここは山に関する本しかないよ。


とすこしぶっきらぼうな感じ。


ところが実はすでに
 
 Le Mont-Blanc Express   L'invention du tourisme alpin
 モンブラン急行  アルペン観光の発明


という本を見つけておいたので、


  こんな感じの本ですよ、19世紀の観光の歴史を調べていて、アルプスについてもなにかないかとおもって。


ということから、気難しそうな店主はどうやら打ち解けてくれました。


店主の知り合いが最近日本に行ったことなど、いろいろと話をされ、高い天井いっぱいまで本に囲まれた空間で、とてもすてきなひとときをすごすことができました。


肝心の本はといえば、1冊だけという収穫でしたが、4色大型本で図や写真が多くあり、とても素晴らしいものでした。


ーーーーーーー

*** 関連する本 ***

観光大国スイスの誕生 河村英和著 平凡社 2013年


スイスは今でこそ世界中の観光客が訪れる人気の観光地ですが、17世紀までは恐れの対象となっていました。それがルソーに代表されるロマン主義者を中心にその素晴らしさが発見され、鉄道が開通し、現在の観光大国となったのです。



| コメント (0) | トラックバック (0)

2018.04.14

アムステルダムの古本屋 Kok

Amsterdam_map


今日はアムステルダムの、すこし趣の変わった楽しみ方をご紹介しましょう。


観光客でにぎわうレンブランド広場でトラムを降りて、有名なホテルヨーロッパを横目で見ながら運河を二つ渡って、歩いて10分もかからないところに、古本屋Kokはあります。

もしダム広場やニューマルクトにいるのであれば、そこから歩いたほうが近くてわかりやすいです。


Antiquariaat A. Kok & Zn. B.V.


こちらはお店のホームページですが(↓)、オランダらしいというか、なんとも飾らない、テキストエディタでHTMLを書けば1時間もあればできてしまうようなデザイン。
http://kok.nvva.nl/

写真付きのこちらをみていただいたほうが雰囲気がわかります。

http://nvva.nl/kok/


古書だけでなく絵葉書や古い地図も販売しています。
冒頭の写真はKokで購入したアムステルダムの古地図(複製)。


さて、あるとき旅行や鉄道の本を物色し会計にいくと、


 鉄道に興味があるのか。2階にもっとあるがみるか


とのこと。会計の右手に階段があり、登る手前にあるロッカー荷物を入れるよう指示されます。2階は店員がいないので、本をカバンに入れて持ち帰ってしまうことを防ぐためのようす。


秘密の部屋のようなところで、高い天井いっぱいにあらゆるジャンルの古本が並んでいます。

ところで日本の古本屋は通常店舗に並んでいる本が在庫のほとんどで、奥にある本はダブリか予備。質的にいいものはほとんど全部が店頭にあります。

一方欧州では、店には一通りのものを並べ、倉庫などに一層よいものが置いてあるのだとか。「店の品は氷山の一角である」とのこと。
 (ヨーロッパ古書紀行 昭和48年 文車の会編 文化出版局)


確かにこれまでに訪れた古本屋は、パリでもヘルシンキでもほとんどのお店で、店頭から奥まったところに(上だったり地下だったり)膨大な在庫がありました。


さて、ガイドブックの棚を発見。19世紀に発行されたものも多数あります。でもいい本は1万円以上します。

さんざん迷った結果、今回の収穫はこちら。


Official_guide_2

鉄道院が1914年(大正3年)に発行した西日本のガイドブックです。


An official guide to Eastern Asia
Vol. II : South-Western Japan
185ユーロ

各地の紹介のページの前には、204ページにわたり、日本を旅行するための一般的な情報や、日本の歴史、芸術、宗教などが紹介されています。

この本は最近では観光研究の対象にもなっているようです。


このほかにも、アムステルダムにはいくつかの古本屋があります。

Kokから歩いてすぐのところに近くに小さな古本屋が並んだ通り Kloveniersburgwal 82や、「9つの小さな通り NegenStraatjes」の地域にも数店舗見つけることができます。


Kloveniersburgwal通りは、絵葉書やポスターなどもあり、旅のお土産にもなります。

http://halfpixel.jp/blog/20120617/books-and-prints/

「9つの小さな通り」には有名なパンケーキ屋さんもありますね。


興味のある方はぜひ訪れてみてください!


*おすすめの本*
 

オランダ旅行の前で後でもぜひおすすめ!

司馬遼太郎はオランダに何度か訪れていますが、この本からは彼のオランダ愛を感じます。

» 続きを読む

| コメント (0) | トラックバック (0)

2018.04.01

本のまち フランス・ベシュレル

本の町 ベシュレル


さて、いよいよフランスにある”本の町”ベシュレルをご紹介しましょう。


フランス語学習者にとっては、ベシュレルといえば、およそすべての動詞の活用が掲載されている本のことですね。(Bescherelle)。しかし、本好きな人にとっては、Béchelelというつづりの、ブリュターニュにある小さな町のことになります。

https://becherel.com/

訪問したのは2017年9月。夏の観光シーズンも終わり、もうすでに肌寒い季節でした。


ところでまちおこしに「本」を活用した町としては、イギリスのヘイ・オン・ワイHay-On-Wyeが有名です。

ベシュレルはそのフランス版。本の町としてはフランスでは初めて、そしてヨーロッパではイギリスのヘイ・オン・ワイ、そしてベルギーのレデュに次いで3番目、とのこと。
ついでにオランダにも本の町ブレデフォールトがありますがその訪問記は別の機会にご紹介しましょう。


さて、パリ、モンパルナス駅から、新幹線TGVで約1時間半でレンヌ、レンヌから約40KMのところに位置するベシュレルは、中世から続く、人口約700人の小さなまちです。ブリュターニュ地方でも、最も小さい自治体コミューンの一つです。大きさ的には町というより村ですね。


Dsc_0477

古書を扱う本屋さんが12店舗、そのほかにギャラリーやアトリエが石畳の町に点在しています。


公式には1988年から本のまちとして紹介され始めました。


町の入り口にある新しくできた近代的な建物には、観光案内所があります。

Dsc_0452


せっかくベシュレルを訪れるのでしたら、イースターに開催される「本祭り」などのイベントの時や、ほぼ毎月第一日曜日に開催される本の市に合わせて訪問の日程を組むのがいいかもしれません。


さて、せっかくブリュターニュに行くのですから、旅の楽しみである”食”も忘れずに。
ブリュターニュといえば、そば粉でできたガレット。

Dsc_0462


小麦粉でつくるクレープのようなものなのですが、そば粉なので黒っぽい生地となります。

ベシュレルにある唯一のクレープ屋さんでいただきました。

Dsc_0464


町なかは、端から端まで10分もあれば歩けてしまう大きさです。
でも本屋さんに立ち寄りながら、半日くらい滞在しました。


ベシュレルはレンヌからバスで行くことになりますが、このバスに乗るのは一苦労。
レンヌの駅前から出ていないので、初めてだとすこし難しいです。


でも観光としてはレンヌのほうが有名なので、ベシュレルとセットで訪問するのがおすすめ。

レンヌは、フランス第2の大きさを誇る土曜市や木組みの家々など、独特の雰囲気がとても美しい街です。

パリからは日帰りで旅行できますが、宿泊すればもっとゆっくり楽しめます。
ついでにレンヌはモンサンミッシェルへのバスが出ています。


| コメント (0) | トラックバック (0)

2018.03.11

ロートレックとパリの古本市

Dsc_0557_2

ドイツの歴史家であるレシュブルクの著書「旅行の進化論」(邦訳1999年)は、青銅器時代から現代までの旅行形態の通史がコンパクトにまとまっていて、旅行の発展史をわかりやすく追うことができる。

ヨーロッパを視点とした記述であることは、今時の歴史学のトレンドからはすこし時代遅れなのかもしれないが、欧州における旅の歴史を学ぶ、というスタンスで割り切って読めば多くの知見を得ることができる。

その中に少し気になる記述があったので今日はそれをご紹介する。


第9章「旅行産業は団体旅行から」では、トマスクックをはじめとして、19世紀の旅行産業について語られている。
その中にトゥールーズ・ロートレックに関する以下のような記載があった。


>トゥールーズ・ロートレックのような画家が、旅行目的地のポスターを描いた。新聞は旅行特集を付録にして、旅行評論や広告を掲載した。(P161)


旅行が大衆化し経済の一端を担うようになることを指摘する一端のくだりであるが、はて、トゥールーズ・ロートレックは旅行目的地のポスターなど書いていただろうか。


確かに彼は印象派画家全盛のころ、モンマルトルのキャバレーに出入りし多くのポスターを制作した。そしてそのころ19世紀後半はフランスでも鉄道網が拡大し、レジャーが、余暇活動が社会に広がっていった。

その中で鉄道会社によるものを始め多くの観光地ポスターが宣伝のために制作された。ブルターニュが観光地としてポスターで宣伝され始めたのもこの頃からだ。
「そうだ、京都行こう」で有名なJRのデスティネーションキャンペーンでは、中吊りや駅貼りポスターで観光地を宣伝しているが、そのルーツは100年前にさかのぼることになりなる。


しかしロートレックが観光地のポスターを本当に作っただろうか。


これを調べるにはロートレックの作品を当たるしかない。「悪魔の証明」のいうとおり、「ない」ことを証明するにはすべての場合を確かめるしかない。


いまどきネット調べてみるとロートレックの有名なポスターは多く紹介されている。また東京・丸の内にある三菱一号館美術館で運よくロートレック展を開催していたので行ってみたが、しかし全集みたいなものはなかった。

「ない」ことを証明するにはどれも不十分であった。


そんなこんなしているうちに、なかなか調べる機会がなかったのだが、ついにその日がやってきた。


パリの古本市である。


パリ15区のジョルジュ・ブラッサン公園では、毎週古本市が開かれている。
公園の一角にある、体育館一つ分くらいはありそうなスペースに、何十ものお店がでている。

Dsc_0550_5

閉店の時間が近づき、かたずけ始めている店もある中で、ついにその本はそこにあった。558ページもある大型本を手に取ると、店員(おそらく店主)が近づいてきて、それはいい本だぞ、という。これはすべての絵が掲載されいるか、と聞くと、ほぼ全集に近い、という。

値段を確認すると30ユーロ、約4千円。

考えられないくらい安い。それは自身が定める価値、つまりほしかったものがようやく入手できる、その対価として安い、という意味はもちろんがあるが、500ページ以上の、フルカラーの大型本がそもそも30ユーロで手に入ること自体、とてもお買い得感あり。

ついでながら、カバーには「350フラン」と表示してある。発行は1992年発行。フランスフランは当時24円程度らしくそれを基に計算すると約8400円。定価はそれなりの値段だったようす。

さて、肝心の調査の結果だが、やはり観光地のポスターはなかった。
風景を描いたものはないことはないが、しかし観光地宣伝のものではない。


有名な歴史家でも認識を間違え誤記をすることもあるのだなあ、とおもいつつ、しかしロートレックが観光地ポスターを制作したらいったどのようになっただろう、とすこし残念な気もする。いやもしかしたら地球のどこかにロートレックが書いた観光地ポスターがあるのかもしれない。


| コメント (0) | トラックバック (0)

«「旅行用心集」 八隅藘菴著 文化7(1810)年